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ISFJ(擁護者) の立ち絵
Scenario / Work / Long

22歳、まだ何者でもない

ISFJ

擁護者

ずっと「あなたのため」に動いてきた人が、その手をそっと放したことで、ほんとうに「いないと困る人」になった話

Prologue

「あ、わたしやっておきますね」——気づいたら、いつもそう言っている。自分の仕事が後回しになっても。心当たり、ありませんか? もしあなたが大手 SIer『テクノブリッジ』に新卒で入社したら——22 歳から 40 歳までの 18 年を、どう生きる? 同期は 800 人。配属ひとつで、人生の向きは、わりと本気で変わる。 今日の主役は、ISFJ。 誰かのために動くのが、世界でいちばん得意な人。 その人が「あなたのため」でやってきたことで、なぜいちばん大切な相手に、そっと距離を置かれてしまうのか。——そのわけを、ゆっくり追いかけます。

Phase 01

22 歳の春。同期 800 人が並ぶ入社式。 壇上のあいさつより、ISFJ のあなたが気にしていたのは、となりの席の同期が緊張で顔を真っ青にしていたことだった。気づけば、自分のハンカチを、そっと差し出していた。 配属は、人事部。社員の入退社や勤怠、福利厚生をあつかう、縁の下の部署だ。 花形ではない。でも ISFJ には、ぴったりだった。誰かが働きやすいように、見えないところを整える。それが、しっくりきた。 ISFJ はすぐ、いないと困る人になった。 会議があれば、頼まれる前に人数分の資料とお茶がもう並んでいる。誰かの体調が悪そうなら、机にそっと胃薬が置いてある。先輩の子どもの誕生日まで、なぜか覚えている。 そして、断るのがとにかく苦手だった。「これ、お願いできる?」と言われると、自分の仕事が山になっていても、つい「はい、大丈夫です」と言ってしまう。 気づけば定時はとっくに過ぎ、フロアにひとり、誰かの代わりの作業をしている。それでも、ISFJ はそんなに嫌じゃなかった。誰かの「ありがとう」が、ちゃんとごほうびだったから。 25 歳。「サブリーダー、やってみない?」と打診が来た。 ISFJ は少し考えて、辞退した。 前に立って指示をするより、みんなが困らないよう後ろで支えるほうが、ずっと自分らしい。 同期のなかには「合わない」と辞めていく人もいた。ISFJ は辞めなかった。ここには、自分を必要としてくれる人が、ちゃんといたから。

ISFJ の仕事人生 — 物語の幕開けの場面
Phase 02

ISFJ の「やってあげたい」は、ただのお人好しとはすこし違う。 身近な誰かの一日が、ちゃんと平和に終わる。ISFJ にとってはそれが、自分の一日が無事に終わるのと、同じくらい大事なんだ。だから、放っておけない。 ただ、その気持ちは口に出さないから、まわりには「気がきく、便利な人」くらいにしか見えていないこともある。 30 歳。ISFJ は、労務と健康管理の担当になった。 心や体を壊して休んだ社員の職場復帰を支える仕事だ。 休職届を通す。産業医との面談の日を組む。復帰した最初の一週間だけ、勤務時間を短くしてもらえるよう、まわりに頼んで回る。 たったそれだけで、もう一度ここに戻ってこられる人がいる。 ISFJ はこのとき知った。制度は紙の決まりじゃなくて、人がもう一度戻るための手すりなんだ、と。 復職面談の前日には、本人用、上司用、産業医用、それから「念のため」の予備用まで、ISFJ は資料を四部そろえていた。 誰にも頼まれていない。でも、誰かが困るかもしれないと一ミリでも思うと、ISFJ はもう、手が動いてしまう。 「○○さんがいてくれて、ほんとうに助かった」——そう言われるたび、ISFJ は自分がここにいてよかったと、ちゃんと思えた。 このころ、ISFJ は結婚もして、家でも「支える人」になった。 会社でも、家でも、誰かのために動く。それが、ISFJ のあたりまえになっていった。 ただ、ISFJ は気づいていなかった。 よかれと思って先回りして全部やってあげることが、ときどき、相手から「自分でやってみる時間」を、そっと奪ってしまうことに。

ISFJ の仕事人生 — 物語が動き出す場面
Phase 03

35歳の春。ISFJ のカレンダーは、相変わらず他人の予定でびっしり埋まっていた。 そんな時期に、つらいことがふたつ重なった。 ひとつは、職場で。 ISFJ がいちばん親身に支えてきた後輩がいた。休職から戻ってくるとき、付きっきりで寄り添った相手だ。 その後輩がある日、少し困ったような顔で言った。 「ありがとうございます。でも……もう、大丈夫です。ちょっと、気にかけてもらいすぎかな、って」。 わるい子じゃない。やさしさで言ってくれたのも、わかっていた。 でも ISFJ には、その一言が「もう、あなたは要りません」と聞こえてしまった。 もうひとつは、家で。 親の介護が始まっていた。ISFJ は当然のように、ぜんぶ引き受けた。 毎朝の薬の仕分け。週に二度、通院に付き添う。夜中に何度も鳴る、呼び出しのブザー。 それでも、親の具合は良くならない。返ってくる言葉は、「ありがとう」より「まだなの?」のほうが増えていく。 たまに顔を出すだけの兄に、親は「あの子は忙しいのにねえ」と笑う。ずっとそばにいる自分には、何も言わないのに。 ISFJ は生まれて初めて思った。——わたしが今までやってきたことは、なんだったんだろう。 それからしばらく、ISFJ は夜がこわくなった。 ふだんは絶対に考えないことが、頭の中で勝手にふくらんでいく。いちばん苦手な、最悪のほうの想像が、止まらない。 「わたしは、誰からも必要とされていない」。 「あんなに尽くしたのに、結局みんな、わたしから離れていく」。 「このまま、職場でも家でも見捨てられて、ひとりぼっちになる」。 「わたしがいなくなっても、きっと、誰も困らない」。 ふだんの自分なら、こんなふうには考えない。 でも一度「嫌われたかも」と思うと、次も、その次も嫌われる気がしてくる。——まだ誰も離れていないのに、ISFJ の頭の中では、もうみんな、いなくなっていた。 ISFJ のつらさは、外からは見えない。 怒鳴りもしないし、表ではいつも通りに笑ってもいる。 でも、心の中ではちゃんと責めてる。 「あんなに毎朝、声をかけたのに」。「あの人の分まで、ぜんぶ抱えたのに」。 口に出さないぶん、そのくやしさだけが、じわじわ積もっていく。 そのうち、スマホの通知を見るのもこわくなる。いっそ全部の連絡を消して、どこかへ消えたかった。 それでも、夜中にこっそりスマホを開いて、昔もらった「ありがとう」のメッセージを何度も読み返す。 「ほら、わたし、ちゃんと役に立ってた」。その証拠を、必死で探す。 でも、探すほどに、「あの頃はよかった」が、今の自分を遠くしていくだけだった。 とうとう ISFJ は、心も体も動かなくなって、しばらく会社を休むことになった。 数日は、本当に、何もできなかった。 それでも、少しずつ。ぬるめのお風呂に、ゆっくり浸かる。いつもの順番で、朝ごはんを作る。 そして、たった一人だけ信じている相手に、ぽつりと、ぜんぶ打ち明けた。 ずっと誰かを支える側だった ISFJ が、生まれて初めて、自分から「助けて」と言えた夜だった。

ISFJ の仕事人生 — クライマックスの場面
Phase 04

40 歳。 休職から戻った ISFJ は、ひとつのことを自分に禁じた。 「ぜんぶ、やってあげる」ことだ。 あの後輩のことを、何度も思い出した。あの子が言いたかったのは、たぶん、こうだ。「信じて、まかせてほしい」。 その春、あの後輩が今度は別の社員の復職面談を担当することになった。 昔の ISFJ なら、資料の作り方から声のかけ方まで、ぜんぶ先に渡していた。 でも、その日は、ぐっとこらえた。 「まず、あなたはどうしたい?」 そう聞いて、口を閉じた。 黙っているあいだ、喉まで助言が何度もせり上がってくる。この間が、こわい。手も出したい。でも、待った。 後輩はすこし考えて、ISFJ のとは違う自分なりのやり方を選んだ。それで、ちゃんとうまくいった。 不思議なものだ。 手を放したほうが、まわりの人はちゃんと育っていく。 そして、本当に困ったときだけ、みんなが ISFJ を頼ってくる。「やっぱり、あなたがいないと」。 全部を抱えていた頃より、ずっと深く必要とされていた。 今でも、誰かが困っていると、体が先に動きそうになる。 でも、そのたびに、あの「気にかけてもらいすぎかな」を思い出して、ひと呼吸、おく。 助ける前に一度だけ聞く。「どこまで、自分でやってみたい?」 その一拍を待てるようになったことが、ISFJ の十八年で、いちばん大きな変化だった。

ISFJ の仕事人生 — 結末の場面

Epilogue

ここまで読んで、「あ、わたしだ」とどきっとした人もいるかもしれません。 ISFJ のいちばんの成長は、「もっと尽くせるようになったこと」じゃない。むしろ逆だ。 「自分が手を放しても、大切な人は、ちゃんと大丈夫」——そう思えるようになったこと。そこに、ISFJ の十八年が、ぜんぶ詰まっている。 職場に一人はいませんか。自分のことは後回しで、気づけば誰かの世話を焼いている人。 今度その人が手を貸してくれたら、「ありがとう」のあとに、もう一言だけ。「いつも、無理してない?」 その一言を、たぶんその人は、ずっと待っています。

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