診断結果に戻る
ISFP(冒険家) の立ち絵
Scenario / Work / Long

22歳、まだ何者でもない

ISFP

冒険家

「美しくない」のひとことで、何度でも全部を捨ててこられた。最後の最後まで捨てられなかったのは——「それ、いいね」と、隣でうなずきつづけてくれた人たちだった、という話

Prologue

「この資料、フォントが揃ってないと、なんだか内容が頭に入ってこなくて」——会議で配られた紙の行間と色を、誰にも頼まれていないのに直しはじめる。そんな人、見たことありませんか? もしあなたが大手 SIer『テクノブリッジ』に新卒で入社したら——22 歳から 40 歳までの 18 年を、どう生きる? 同期は 800 人。配属ひとつで、人生の向きは、わりと本気で変わる。 今日の主役は、ISFP。 口数は少ないのに、作るものには「この人、本物だ」と思わせる人。問題は——その「美しいかどうか」だけのものさしが、いつのまにか、隣の人を裁く刃に変わってしまったことです。

Phase 01

22 歳の春。同期 800 人が並ぶ入社式。 壇上の役員の話が長引くなか、ISFP のあなたは、配られた式次第の紙を手に取り、ロゴの色と余白を、じっと見ていた。「惜しい。あと少し右に寄せれば、きれいなのに」。 配属は、システム開発部。社内の業務システムの画面を作る部署だ。本当はもっと「ものを作る」部署がよかったが、希望は通らなかった。 ISFP は、頭より先に手が動く人だった。画面が開いた瞬間、ボタンの角と文字のすき間に目が引っかかり、気づくと、もう直している。直したあとの方が、明らかにいい。 だが、先輩の答えはいつも同じだった。「そこ、どうでもいいから。仕様書どおりに動けばいい。見た目はあとで」。 どうでもいい。その一言で、角を元に戻した。なのにその夜、誰もいないオフィスで、もう一度だけ、自分のいいと思う方に直していた。 会議では、ほとんど発言しない。でも帰り道、デザインの話になると、別人みたいに早口で、楽しそうに語りだす。「君、そんなにしゃべる人だったの」と笑われた。 締め切りの前は、いつもまわりをひやひやさせた。ボタンの色を青にするか、灰色を少し混ぜるか。それだけで三日、固まる。「どっちでも変わらないでしょ」と言われても、ISFP には変わるのだ。世界でいちばん、変わるのだ。 25 歳。「サブリーダーをやってみないか」と打診が来たが、断った。人を動かすより、自分の手でいいものを作っていたい。同じころ異動希望を出し、自社サービスを作るプロダクト部に移った。

ISFP の仕事人生 — 物語の幕開けの場面
Phase 02

プロダクト部は、前よりずっと息がしやすかった。 自社サービスの画面を、自分でデザインできる。ISFP の作る画面は、不思議と、使った人が「なんか、気持ちいい」と言うものになった。理由はうまく言えない。でも、手が、それを知っていた。 ただ、ここにも壁はあった。会社のサービスは、最後は「数字」で決まる。どっちのボタンが押され、どっちの色が売れたか。 ISFP が「こっちのほうが、いいので」と言うと、会議室の空気が冷えた。「いい、はわかったけど。で、根拠は? データは?」。 数字で測られるたびに、自分のいちばん大事にしている感覚に、ちがうものさしで点数をつけられている気がした。 30 歳。ISFP は、会社を辞めた。どの道を選んでも、最後は誰かの「数字」と「都合」が、自分の作るものの上に乗ってくる。フリーランスになって、心から「いい」と思える仕事だけを選んだ。 これが、驚くほど合っていた。本人は表に出ず、出来上がったものだけが残る。手に取った人が「これ、誰が作ったの」と聞きたくなる、その納品物だけが。 気づけば、ISFP のやり方に憧れた若い人たちが集まり、小さなスタジオができた。ISFP は多くを語らず、ただ手元を見せた。色を混ぜる手つき、紙を選ぶ指。「私の手を見て、感じ取って」。それが「教える」だった。 自分のいいと思うものだけで、生きていける。そう、一生続けるつもりだった。 そして、この「ひとりでもやっていける」という自信こそが、数年後、ISFP をいちばん醜いところまで突き落とす。

ISFP の仕事人生 — 物語が動き出す場面
Phase 03

35 歳。ISFP のスタジオに、桁の違う仕事が来た。 ある化粧品ブランドの、全面リニューアル。パッケージの紙の手ざわりから、店頭の棚の色、アプリの画面まで、ぜんぶ。色と素材と光が命の、ISFP の手がいちばん燃える仕事だった。 でも、その仕事は、ISFP の大事なものを、ひとつずつはがしていった。 「ここ、もっと早く」「この紙はコストがかかるから安いほうに」「その色味の差、データで証明できないなら削って」。 半日かけて箔の押し方を選び、光の下で色校正を見比べる。その時間が、予算と納期に、一日ずつ削られていく。いい一点にたどりつく前に「今日中に決めて」と急かされた。 それでも、ISFP は、自分のいいものを守ろうとした。 ある日、若いスタッフが、色を直した案を持ってきて言った。「これで、だいたい同じ色です」。 だいたい、同じ色。その瞬間、ISFP の目から、光が消えた。それは、ISFP にいちばん言ってはいけない一言だった。 そこから、止まらなかった。 深夜、チャットにルールを連投する。色番号、ファイル名のつけ方、一文字でも違ったらやり直し。十分遅れて出したスタッフからは、その場で作業を取り上げた。「もう、あなたは触らないで」。 打ち合わせでは、相棒の案を、クライアントの前でつぶした。「これは、私が通しません」。相棒の顔がこわばったのが横目に見えた。見えたのに、止められなかった。 色見本を手の甲で払って床に落とし、サインペンを半分に折り、ドアを強く閉めた。普段の、静かで温かい ISFP は、どこにもいなかった。 スタジオを二人で始めた相棒が、ある日、荷物をまとめながら言った。 「私、あなたの作るものが、世界でいちばん好きだった。今でも、好き」。 「でも、今のあなたは——私たちが二人でいちばん嫌いだったものに、なってる」。 ISFP は、何も言い返せなかった。相棒は、出ていった。次の朝、若いスタッフの机もひとつ空になり、その次の朝も、また、ひとつ。 気づけば、誰もいないスタジオに、ひとりで座っていた。床の色見本。折れたサインペン。返事のつかない、深夜のチャット。 人の自由なんて縛らない、と思っていた。なのに、自分のスタジオが危なくなると、誰よりもみんなを細かく縛った。若いころいちばん嫌っていた「冷たい支配者」に、自分の手でなっていた。 つくりかけの色見本を手に取っても、いい色か悪い色か、もうわからない。 次の日、仕事を放り出して電車に乗った。降りたのは、学生のころ何度も通った美術館。閉館まぎわ、客はほとんどいない。 一枚の古い絵の前に、長いこと立っていた。誰かが何年もかけ、ごまかさずに塗り重ねた色。 そういえば自分も、こういうものが作りたくて、この道に来たんだった。 帰り際、チケットの半券の裏に、小さな四角をひとつ描いた。手が久しぶりに、勝手に動いていた。

ISFP の仕事人生 — クライマックスの場面
Phase 04

40 歳。ISFP は、また、ものを作っていた。今度は、人の手にちゃんと届く形で。 あの相棒とも、去ったスタッフとも、結局、戻らなかった。失ったものは、失ったままだ。 ただ、ひとつだけ、ISFP は変えた。 仕事を受けるとき、まず見積書に「ここだけは絶対に安い紙にしない」という一行を立てる。工程表では、色校正の日を、動かせない予定として最初に置く。スタッフには「ここは私が触る」「ここは任せる」をはっきり分ける。 昔は、ルールも納期も予算も、自分の作りたいものの邪魔でしかないと思っていた。今は、譲れない一点を守るための線として、自分で引く。その線を引けてから、ISFP の作るものは、初めてちゃんと人の手に届くようになった。 伝え方も変わった。もう「私のとおりにやれ」とは言わない。代わりに、ひとつだけ言葉を添える。 「ここの余白をこれだけ空けてるのはね。見る人の目が、いちばん見てほしいところに自然と止まるからなんだ」。 たった、ひとこと。でも、それで、若いスタッフは自分で余白を取れるようになった。あの頃は、その理由を、自分の中に隠していた。 昔は、いつも「分かってもらえるか」で苦しんでいた。数字や評価に採点されるたび、傷ついた。でも今は、それが、いちばんの問題じゃなくなった。「自分のいいと思うものを、最後まで曲げずに作りきって——それが、ちゃんと、誰かの手に届いたか」。ISFP が見るのは、もう、それだけだ。 もちろん、色のことは、今でも気になる。資料の行間が揃っていないと、たぶん今も直す。でも、それで誰かを「分かってない人」と裁くことは、もう、しなくなった。

ISFP の仕事人生 — 結末の場面

Epilogue

ISFP の 18 年、いかがでしたか? 「完全に自分だ」という人も、「そこまでこだわらない」という人も、いると思う。どっちでも、いい。 ISFP を見ていてぐっとくるのは、いいものを作れる手じゃない。その手を守ろうとして、いちばん嫌いだったはずの「冷たい支配者」になり、大切な人を失って——それでようやく、ルールや締め切りを、自分のいいものを守る線として引けるようになった。その不器用な遠回りのほうだ。 あなたの周りに、口数は少ないのに、作るものだけは妙に信用できる人、いませんか。 その人がぼそっと足す「ここはね」のひとことは、本人にとっては、かなり勇気のいる「教える」です。

次に読む

ほかのシナリオを探す