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ISFJ(擁護者) の立ち絵
Scenario / Zombie / Long

世界が終わった夜、あなたはこう動く

ISFJ

擁護者

気づいた時、誰にも何も言わなかった人の話

Prologue

「『大丈夫?』——あなたの中にも、自分のことより先に、誰かにそれを聞きたくなる瞬間、ありますか?」 もし明日、東京がゾンビで溢れたら——あなたなら、どうする? 逃げる? 戦う? それとも、世話する? 人口 1400 万。MBTI 16 タイプ。生き残るのは、たぶん、ほんの一部。 今日の主役は、ISFJ。 誰にも気づかれずに拠点を支えていたその人が、ある朝、なぜいなくなったのか——これから見ていく。

Phase 01

20XX 年 X 月 X 日、朝 7 時ちょうど。 ISFJ のあなたのスマホが鳴った。 画面には、「お母さん」。 「もしもし、ねえ、大丈夫? ニュース、見た?」 お母さんの声は、震えていた。 ふつうの人は、たぶん、ここで「逃げなきゃ」と思う。 自分の身はどうなるのか、と、頭が回りはじめる。 ISFJ も、こわかった。 でも、ISFJ の口から、先に出た言葉は、こうだった。 「うん、大丈夫。お母さんは? 家、ひとり?」。 そのあいだに、ISFJ の頭の中では、もう次のことが順番に並んでいた。 お母さん。家。隣のおばあちゃん。下の階の小さい子のいる家。 誰が、今、こわい思いをしているか。 電話を切ると、ISFJ は台所に立った。 炊飯器のごはんを、握れるだけ握る。ラップにくるむ。 冷蔵庫から麦茶を出して、ペットボトルに詰めかえた。 これは夢でもゲームでもない。 それでも ISFJ の手は、いつもの順番を探すみたいに動いていた。 外に出ると、人の波と、サイレンと、遠くの悲鳴があった。 近所のおばあちゃんを連れて、近くの小学校の体育館にたどり着いたのは、お昼すぎ。 誰に頼まれたわけでもない。でも ISFJ は、もう動きはじめていた。 水を配って、毛布を運んで、泣いている子のとなりに、ただ座った。 体育館の隅で、ISFJ の名前は、誰にも呼ばれていなかった。 それでよかった。

ISFJ のゾンビサバイバル — 物語の幕開けの場面
Phase 02

で、ここがね、ISFJ って『いちばん目立たないのに、いちばんいないと困る人』でさ、その生き方が、見ていて、まぶしいんだよ。 ふだんの ISFJ の頭の中には、いつも、ひとつの台帳がある。 お父さんが嫌いな食べ物。お母さんが薬を飲む時間。妹が小さいころに泣いた話。隣のおばあちゃんが、雨の日に膝を痛がること。 そういう「誰かにとっての小さなこと」を、ISFJ は、ぜんぶ覚えている。 その台帳が、ISFJ を、静かに動かしている。 だから、外で「やばいやつ」が来たとわかった瞬間に ISFJ がやったことは、自分の荷物をまとめることでも、人の前に立つことでもなかった。 おばあちゃんに「いっしょに行こう」と声をかけて、おにぎりを握ることだった。 体育館の中で、ISFJ は、いつも誰かの後ろにいた。 水のボトルが足りない人のところへ、いつのまにか、もう一本置いてある。 夜、寒くて目を覚ました子のところに、いつのまにか、毛布が一枚増えている。 泣きそうな顔をしているお母さんの横に、いつのまにか、ISFJ が座っている。 「あれ、これ誰がやってくれたんだろう」。 そう思った人がいたとしたら、それをやっていたのは、たぶん、ぜんぶ ISFJ だった。 でも、誰も気づかなかった。 ISFJ は、それで、よかった。 名前を呼ばれて感謝されることより、その人が「今夜は眠れた」って次の朝に思ってくれることのほうが、ずっと大事だった。 ここ、ISFJ を見ていて、すごいなと思うところなんだけど。 ISFJ は、人の顔色を見ているんじゃない。 その人が、ふだん、どんな小さなことに安心していたかを覚えているんだ。 だから、いつも飲んでいたお茶。子どもが手放さなかったぬいぐるみ。お父さんが寝る前に必ずやっていた、肩を回すしぐさ。 そういうものを、こっそりと、もとの形に近づけてあげる。 それが、ISFJ のやり方だった。 ISFJ は、地味な人、目立たない人、って思われやすいでしょ。 でも本当は、その場にいるみんなの「いつも」を、ひとりで覚えていて、それを静かに守りつづけている人なんだよ。 そして、それを誰にも言わない人なんだ。 ISFJ にとって、世話することは、自分の役割だから、というだけのことじゃなかった。 「この人の、いつもの一日を、終わらせたくない」。 ただ、それだけのことを、ISFJ は、自分のやり方でやっていた。

ISFJ のゾンビサバイバル — 物語が動き出す場面
Phase 03

ただ、ここから、その台帳が少しずつ、ISFJ 自身を追いつめていく。 体育館の生活は、二十日目に入っていた。 ISFJ は、誰よりも早く起きて、誰よりも遅く寝た。 水を運ぶ手の皮はむけて、子どもをあやす腕は、ずっと、すこしだけしびれていた。 でも、ISFJ は、誰にも「疲れた」と言わなかった。 ISFJ の口から出る言葉は、いつだって、「大丈夫だよ」だけだった。 その日の朝、ISFJ は、ちょっとだけ、熱っぽかった。 ふつうの人なら、たぶん、誰かに「ちょっと休む」と言う。 ISFJ も、たぶん、それで済むことだった。 そのくらいの疲れは、二十日も働けば、誰だってある。 でも、ISFJ は、その熱を、ただの熱として受け取れなかった。 頭の中に、たったひとつ、こわい考えがよぎった。 ——もし、私が感染してたら? そこからは、もう、止まらなかった。 ISFJ には、ふだん見えないはずの「これから起きるかもしれないこと」が、急に、はっきり見えはじめた。 私のせいで、子どもが感染するかもしれない。 私が触ったペットボトルから、誰かにうつるかもしれない。 私がそばに座ったお母さんが、夜のあいだに——。 それは、ぜんぶ、まだ起きていないことだった。 熱は、たぶん、ただの疲労だった。 ふだんの ISFJ なら、そう思える。 でも、ふだんと違うのは、今、まわりに、二十日のあいだ自分が世話してきた人たちが、たくさんいることだった。 ISFJ にとって、その人たちは、自分の台帳の中で、ずっと守りたかった「いつも」だった。 その「いつも」を、自分の手で壊してしまうかもしれない。 その想像が、ISFJ の中に入った瞬間、もう、外に出せなかった。 「ねえ、私、ちょっと熱があるかも」。 そのひとことが、どうしても言えなかった。 それを言った瞬間、まわりの人の顔が、こわばる。 そのこわばった顔を、ISFJ は、見たくなかった。 自分が今までかけてきた「大丈夫」が、ぜんぶ、嘘になってしまう気がした。 その夜、ISFJ は、いつも通り動いた。 水を配って、泣いている子のとなりに座って、お母さんに毛布をかけた。 笑顔も、いつも通りだった。 翌朝、誰よりも早く目を覚まして。 自分のリュックだけを持って、ISFJ は、書き置きも残さずに、拠点を出た。

ISFJ のゾンビサバイバル — クライマックスの場面
Phase 04

その日のお昼すぎ。 誰かが、ふと気がついて、言った。 「あれ、ISFJ さんは?」。 返事は、なかった。 体育館の隅に、たたんだ毛布と、空のペットボトルが、いつも通り、きれいに並んでいた。 書き置きも、メモも、何もなかった。 そのあと、ISFJ がどこへ行って、どうなったのかを、知っている人はいない。 熱は、ただの疲労だったかもしれない。 それを確かめた人は、ひとりもいなかった。 でも、その拠点に残ったものは、たぶん、ISFJ の名前ではなかった。 あの体育館で、誰よりも早く眠れた子どもがいた。 寒い夜に、毛布がもう一枚増えていたお母さんがいた。 ペットボトルの水が、いつのまにか、また満タンになっていた人たちがいた。 その人たちは、ISFJ がいなくなったあとも、しばらく、その「いつも通り」のなかで生きていた。 ISFJ は、ほんとうは、知っていた。 誰かを世話するということは、その人の「いつもの一日」を、もう一日、つづけてあげること。 名前を呼ばれなくても、それは、ちゃんと残るものだということ。 だから ISFJ は、最後まで、誰にも何も言わずに、ただ、自分が守れると思った場所から、静かに離れた。 最後まで、誰にも、こわい顔をさせなかった。 その「大丈夫」が届いていたあいだ、その体育館の人たちは、ひとりも、こわい夜を過ごさずにすんだ。

ISFJ のゾンビサバイバル — 結末の場面

Epilogue

ISFJ の選んだ朝、いかがでしたか? 「これ、絶対自分やる」「いや、私は絶対やらない」——どっちの答えでも、それは ISFJ が間違ってるんじゃなくて、人間って、それくらい簡単に「身近な人を、ひとりにしておけない」のをやめられない、ってだけ。 その答えの奥には、たぶん、誰かが黙って差し出してくれた茶碗が浮かんでる。 「そこまでしなくていいよ」って言われても、誰かを黙って世話しちゃう人、あなたの周りに、いませんか。

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